昭和30~40年代頃の自転車に関わる体験・思い出を語り合う集い
昭和30~40年代頃の自転車に関わる体験・思い出を語り合う集い」が平成18年8月13日午後1時~2時30分、科学技術館2階・自転車文化センター情報室にて開催されました。
この集いのようすを紙上再現いたしました。
1. 昭和30~40年代当時の自転車に関する概況説明
(説明者:自転車文化センター 谷田貝一男)
2. 参加者とフリートーク (参加者:7名)
昭和30~40年代当時の自転車に関する概況説明
本日はご多忙の中、お集まりいただきましてありがとうございます。短い時間ではありますが、昭和30年代から40年代の頃の自転車に関わる話題を中心に、最近の話題も含めて楽しく語り合いたいと思います。
最初に、話題つくりということで、この頃の自転車に関する概況をお話させていただきます。
【昭和30年代】
昭和30年代の国内の生産台数は昭和20年代から引き続き増加していきましたが、昭和35年以降横ばいが続くようになりました(表1)。これを車種別に見ますと、日本の自転車の中核を成していた荷物運搬を目的にした実用車の生産が昭和35年から減少を始めました。
実用車の前輪や後輪には頑丈で大きな荷台が付けられており、リヤカーを後ろに付けて走ったりしていました(写真1)。しかし、その役割もバイクや自動車に移っていきました。
また、昭和20年代から30年代にかけて、当時の子どもたちが夢中になった紙芝居も実用車の後ろに道具を載せて(写真2)街角にやって来ましたが、昭和30年代後半からのテレビの普及とともに消えていきました。
実用車の減少を補う形で通勤通学や買い物用として利用するための軽快車の生産が急激に増加を始め、昭和39年にはその生産台数が実用車の生産台数を上回りました。
これまで女性の自転車利用率が低かったため、昭和31年頃から女性向けの自転車の販売に重点が置かれるようになりました。花嫁道具の1つに自転車が入るようになったのもこの頃でした。この結果、街角で女性が買い物に自転車を利用する姿が増え(写真3)、男女兼用自転車の生産台数が昭和39年に全体の50%になりました。
スカート姿でも乗ることの出来るフレームということで、スタッガード形(写真の左の自転車)やループ形(写真の右側の自転車)が増えてきた。前カゴは標準装備ではなく、別売りされていた。
子ども車の生産台数は微増であり、誰もが乗っていたという状況ではありませんでした。このため、大人用の自転車に三角乗りと称する方法で子どもたちが乗っていた姿が見られました。
【昭和40年代】
昭和40年代に入りますと生産台数は再び増加を始めました(表2)。特に軽快車の中でもミニサイクルと呼ばれる20~22インチの大きさの自転車が昭和43年頃から急激に増加しました。このミニサイクルは前カゴが標準装備され、買い物や駅までの移動に利用されました(写真4)。また、子ども車も3倍の伸びとなりました(表3)。「従いまして、昭和40年代の自転車の生産はミニサイクルと子ども車が支えていたともいえます。」
駅郊外に団地が形成され、そこから駅まで行くのにも利用された。車輪が小さく全長の短いミニサイクルは収納スペースが小さくてもよいという利便性もあった。また、昭和40年頃からサイクリングブームが起こりました。その後、価格は当時の物価全体の上昇もあり、毎年少しずつ高くなっていったことが富士スポーツ車の平均価格からもわかります(表4)が、スポーツ車の販売は順調に伸びていきました(写真5)。
また、昭和44年頃から電子フラッシャー付自転車が流行しました。ツーライト・スピードメーター・10段変速に加え、電子フラッシャーの光と音によって、左から右へと方向を指示する仕掛けが爆発的な人気を呼びました(写真6)。
電子フラッシャーの部分だけ別売りもされるほどの人気であったが、数年でそのブームも去ってしまった。